スポンサーサイト
上記の広告は90日以上記事の更新がないブログに表示されます。新しい記事を書くことで、こちらの広告が消せます。
2010年10月19日
薩摩琵琶と島津義弘公
薩摩琵琶は島津義弘公の祖父、島津忠良公とも深いつながりがあります。
昨年同様、上川路龍聲さんによる薩摩琵琶弾奏を予定しております。
昨年は、「小敦盛 初段」が弾奏されました。
薩摩琵琶について、詳しくはコチラ
コチラも分かりやすいと思います。
義弘公を題材にしたものとしては、「木崎原合戦」という合戦物があるそうです。
薩摩琵琶弾奏家 島津義秀のブログ
昨年同様、上川路龍聲さんによる薩摩琵琶弾奏を予定しております。
昨年は、「小敦盛 初段」が弾奏されました。
薩摩琵琶について、詳しくはコチラ
コチラも分かりやすいと思います。
義弘公を題材にしたものとしては、「木崎原合戦」という合戦物があるそうです。
薩摩琵琶弾奏家 島津義秀のブログ
2010年10月19日
「加治木まんじゅう」と島津義弘公
姶良市ホームページより
http://www.city.aira.lg.jp/bunkakanko/tourism/specialty/kajiki_manjyu.html
「加治木まんじゅうは、1607年(慶長12年)に、島津義弘が、重富の平松城から加治木への移城に先立ち、1606年から3ヵ年に渡って造らせた欄干橋の工事のとき、お茶うけに出されたものがその起こりと伝えられています。
もち米とこうじを主とした独特な甘酒を使用していて、ふっくらとした生地とおいしいあんこが人気です。」
精矛神社会場でも販売してます。
どうぞご賞味ください。
http://www.city.aira.lg.jp/bunkakanko/tourism/specialty/kajiki_manjyu.html
「加治木まんじゅうは、1607年(慶長12年)に、島津義弘が、重富の平松城から加治木への移城に先立ち、1606年から3ヵ年に渡って造らせた欄干橋の工事のとき、お茶うけに出されたものがその起こりと伝えられています。
もち米とこうじを主とした独特な甘酒を使用していて、ふっくらとした生地とおいしいあんこが人気です。」
精矛神社会場でも販売してます。
どうぞご賞味ください。
2010年10月08日
「お茶」と「薩摩焼」と島津義弘公
精矛神社境内にある、お茶ブースではお茶が提供されます。
チケットは、お一人様 1000円になります。お茶、お菓子だけでなく、今回はお菓子を乗せる龍門司焼の皿がもらえます。
こちらは、ここでしか手に入らない丸十の家紋がついた薩摩ISHIN祭オリジナルのお皿です。
スタッフも当日まで見られませんので、いまから楽しみにしています。
※お茶も、義弘公にゆかりがあります。千利休に師事し、義弘公お手製の茶道具も残されてます。島津修久著「島津義弘と茶の湯」より抜粋したパネルも準備してますので、詳しくは原本やパネルをご覧ください。
※龍門司焼のルーツ、古帖佐焼にも義弘公はゆかりがあります。朝鮮出兵の際に陶工を連れ帰って、茶碗を作らせています。明治時代までの二百数十年間、薩摩藩は陶工たちを士分に取り立て、薩摩焼を庇護していたといいます。
チケットは、お一人様 1000円になります。お茶、お菓子だけでなく、今回はお菓子を乗せる龍門司焼の皿がもらえます。
こちらは、ここでしか手に入らない丸十の家紋がついた薩摩ISHIN祭オリジナルのお皿です。
スタッフも当日まで見られませんので、いまから楽しみにしています。
※お茶も、義弘公にゆかりがあります。千利休に師事し、義弘公お手製の茶道具も残されてます。島津修久著「島津義弘と茶の湯」より抜粋したパネルも準備してますので、詳しくは原本やパネルをご覧ください。
※龍門司焼のルーツ、古帖佐焼にも義弘公はゆかりがあります。朝鮮出兵の際に陶工を連れ帰って、茶碗を作らせています。明治時代までの二百数十年間、薩摩藩は陶工たちを士分に取り立て、薩摩焼を庇護していたといいます。
2010年10月01日
ふるまい鍋「錦江鍋」とは

錦江鍋・・・聞きなれないものと思います。
昨年の第1回 薩摩ISHIN祭で企画した、オリジナル料理となっています。
錦江湾でとれた魚介類を材料にした鍋で、魚のダシがしっかりでていて、体の芯から温まる美味しさです。
この「錦江鍋」は錦江湾の名前に由来します。
精矛神社より東側にあった「鳳山軒」という庵に義弘公、家久公親子がよく遊びに来て和歌を詠んでいたそうです。
加治木島津第6代 久微(ひさなる)の「黒川記」によれば、家久公がこの付近の海や川の景色を見て
「浪のおりかくる錦は磯山の
梢にさらす花の色かな」
を詠んだといいます。これが錦江湾の名称のおこりと伝えられています。
この自然豊かな薩摩の特産品をたくさん盛り込んだ「錦江鍋」、どうぞご賞味ください!限定100食となっています。
*参考:かじきガイドマップ、加治木町文化財 史跡マップ
鹿児島湾について
2010年09月30日
幟の意味
なぜISHIN祭の幟が黒に白抜きの十文字なのか?というご質問をよくいただきます。
尚古集成館には義弘所用軍旗と呼ばれる、黒地に丸十の軍旗が残されています。また、津軽家本の関ヶ原合戦屏風では、黒地に筆文字の十の絵が残されているため、こちらを採用しました。
一般的に知られているのは、写真左奥の白地に丸十ですが、息子の家久のものとも言われているそうです。
参考:歴史群像シリーズ特別編集 【決定版】図説・戦国武将118